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勝尾寺

 2006-03-04
大阪平野の真北に位置する勝尾寺は
神亀4年(727年)「善仲」(ぜんちゅう)、「善算」(ぜんさん)という双子の兄弟が、
草庵を構え修行したことに始まります。

天平神護元年(765年)光仁天皇の皇子(桓武天皇の兄)開成皇子(かいじょうおうじ)が
紫雲たなびくこの霊山に入りて、先述の二師と遭遇、共に修行に励みて、
宝亀6年(775年)7月13日、開成の写経した大般若経600巻が、般若台に埋めらました。

時の朝廷・父・光仁帝の威光のもと、大伽藍が建立され、
弥勒寺(みろくじ)と号されたのはこの頃であります。

平安時代6代座主の行巡上人(ぎょうじゅんしょうにん)は
清和天皇の玉躰安穏を祈って効験を示したことから
清和帝より直々に「我が権力よりも力あり」まさに「王に勝った寺(勝王寺)」と命名されました。
しかし、寺側は「王」を「尾」に差し控え、勝尾寺(かつおうじ)と号されるようになりました。

源氏・足利氏などの覇者が勝ち運を祈り、今はスポーツや試験など勝負の勝運の寺としても有名です。
境内には勝ちだるまが出迎えてくれます。

勝尾寺にある言葉で「すべては自分に勝つために」とあります。
何よりも自分に勝つことが一番大切なのでしょう。

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春日大社

 2006-03-04
和銅3年(710)藤原不比等が平城遷都の際、藤原氏の氏神を祀ったのが起こりとされています。
神護景雲2年(768)現在の地に社殿を造営しました。
興福寺と同様、藤原氏が勢力を伸ばすにつれ盛んに社殿の造営が行われ、
平安前期に現在のような規模を整えました。
皇族や貴族の春日大社詣もさかんとなり、また中世以降になると庶民にも信仰がひろまり、
全国各地に御分社がつくられるまでになりました。
“万燈籠”で知られるさまざまな形の釣燈籠、石燈籠の多くは庶民が寄進したものです。
毎年2月と8月にすべての燈籠に火を入れる“万燈籠”の行事が行なわれ、
その幻想的な美しさに、多くの参拝客が訪れます。

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