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平安神宮
2006-04-12
明治28年(1895年) 平安遷都1100年を記念して平安京大内裏の正庁を模して造られました。
本殿の裏に広がる広大な神苑は
東苑、中苑、西苑、南苑の4つに分かれた回転式遊苑で
明治・大正期の庭園の傑作とされています。
京都三大祭の一つ「時代祭り」は
平安神宮の創建を記念して行われるようになりました。

'06 雪の天龍寺(2)
2006-04-07
1339(暦応2)年吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うために
足利尊氏が夢窓国師を開山として創建しました。
天龍寺は 京都五山第一位の寺格を誇っていました。
創建以来 1356(延文1)年をはじめ 8回の大火に見舞われ
現在の堂宇の多くが明治期に再建されたものです。
夢窓国師による庭園(曹源池)は
国の史跡・特別名勝第一号に指定されました。
また 1994(平成6)年に世界文化遺産に登録されました。

'06 雪の天龍寺(1)
2006-04-07
1339(暦応2)年吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うために
足利尊氏が夢窓国師を開山として創建しました。
天龍寺は 京都五山第一位の寺格を誇っていました。
創建以来 1356(延文1)年をはじめ 8回の大火に見舞われ
現在の堂宇の多くが明治期に再建されたものです。
夢窓国師による庭園(曹源池)は
国の史跡・特別名勝第一号に指定されました。
また 1994(平成6)年に世界文化遺産に登録されました。

清水寺
2006-04-07
清水寺は、宝亀9年(778)の開創。開創以来、興福寺の北伝の法相宗を伝統してきたが
1965年「北法相宗」として独立しました。
北法相宗の「北」は、北寺の伝に立脚するとともに
南都・奈良に対して北の京都に立地するという意味です。
奈良・子島寺の延鎮上人が
「木津川の北流に清泉を求めてゆけ」との霊夢をうけ
音羽山麓の滝のほとりにたどり着き 草庵をむすんで
永年練行中の行叡居士より
観世音菩薩の威神力を祈りこめた霊木を授けられ
千手観音像を彫作して居士の旧庵にまつったのが
清水寺のおこりです。
その翌々年、坂上田村麻呂公が
高子妻室の安産のためにと鹿を求めて上山し
清水の源をたずねて延鎮上人に会い
殺生の非を諭され 鹿を弔うて下山し
妻室に上人の説かれたところの清滝の霊験
観世音菩薩の功徳を語り
共に深く観世音に帰依して仏殿を寄進し
ご本尊に十一面千手観音を安置しました。
音羽の滝は 清水滾々と数千万年来 音羽の山中より湧出する清泉で
金色水とも延命水ともよばれ
わが国十大名水の筆頭にあげられています。

仁和寺(2)
2006-04-05
創建は 平安時代の第58代光孝天皇が西山御満寺として着工されたのが始まりです。
仁和4(888)年 宇多天皇が
先帝の意思を継いで完成しました。
以来 明治維新まで皇子皇孫が門跡を勤め
別名を「御室御所」と呼ばれました。
また 桜が有名で「御室桜」と呼ばれ
境内には遅咲きの桜は素晴らしいです。
平成6年 世界文化遺産に登録されました。

'06 雪の仁和寺(1)
2006-04-05
創建は 平安時代の第58代光孝天皇が西山御満寺として着工されたのが始まりです。
仁和4(888)年 宇多天皇が
先帝の意思を継いで完成しました。
以来 明治維新まで皇子皇孫が門跡を勤め
別名を「御室御所」と呼ばれました。
また 桜が有名で「御室桜」と呼ばれ
境内には遅咲きの桜は素晴らしいです。
平成6年 世界文化遺産に登録されました。

法起寺
2006-04-05
法起寺は 斑鳩三塔(法隆寺・法起寺・法輪寺)の一つです。法隆寺には訪れても
この法起寺には訪れないという人も多いのでは?
法隆寺と同様 世界文化遺産に指定されています。
法起寺の三重塔は 現存する日本最古の三重塔で
国宝に指定されています。
伽藍の配置は 法隆寺と逆で
「法起寺式伽藍配置」と呼ばれています。
推古14年(606)に聖徳太子が
法華経を講説されたという岡本宮を
寺に改めたものと伝えられ
法隆寺・四天王寺・中宮寺などと共に
太子御建立七ヵ寺の一つにかぞえられています。
推古30年(622)2月22日 聖徳太子は
その薨去(こうきょ)に臨み
長子の山背大兄王(やましろおおえおう)に
宮殿(岡本宮)を改めて寺とすることを遺命しました。

法輪寺
2006-04-05
法隆寺は 斑鳩三塔(法隆寺・法起寺・法輪寺)の一つです。法輪寺の創建には二つの説があります。
一つは 推古30年(622)聖徳太子が病気になった時
太子の長子山背大兄王がその子由義王らとともに
太子の病気平癒を願って建立されたという説
もう一つは 天智9年(670)の斑鳩寺焼失後
百済開法師・圓明法師、下氷新物三人が
合力して造寺したとする説があります。
伽藍配置は 法隆寺と同じで
規模は法隆寺の西伽藍の3分の2でした。
残念ながら 当時の建造物は残っていません。

元伊勢・内宮(皇大神社)
2006-04-05
第十代崇神天皇三十九年(紀元前五十九年)に「別に大宮地を求め鎮め祀れ」との皇大神の御教えに従い
永久にお祀りする聖地を求め
それまで奉斎されていた
倭の笠縫邑(現奈良県桜井市)を出御されたのが
いまを去る二千数十年前の遥かな昔であった。
そして、まず但波(丹波)へ御遷幸
その御由緒により当社が創建されたと伝えられている。
皇大神は 四年ののち 御神蹟をおとどめなされて
再び倭へおかえりになり諸所を経て
崇神天皇二十六年(紀元前四年)に
伊勢の五十鈴川上の聖地(いまの伊勢の神宮)に
常永遠にお鎮まりになった。
しかし、天照皇大神の御神得を仰ぎ慕う遠近の崇敬者は
引き続いて当社を内宮の元の宮として
「元伊勢内宮」あるいは「元伊勢皇大神宮」「大神宮さん」などと
呼び親しみ
今に至るも庶民の篤い信仰が続いている。
(皇大神社のパンフレットより)

元伊勢・外宮(豊受大神社)
2006-04-05
丹後半島へ天下られた農耕の神様・豊受大神を天照大神が大江の地に祭られた時
同時に 豊受大神も祭られたとされています。
4年後 天照大神が更に大宮地を求めて出御された後も
豊受大神は この地に鎮座していました。
しかし 536年後の第二十一代雄略天皇二十二年の時
雄略天皇の枕元に天照大神が現れて
「丹波にいた頃が懐かしい豊受大神に会いたい」
といわれたので
現在の地に移されたと伊勢神宮の古記録にあります。
そこで 豊受大神社は伊勢神宮外宮の元宮とされました。
しかしながら豊受大神の御神徳を仰ぎ慕う
遠近の信者は引き継ぎ大神の御分霊を奉斎して
元伊勢豊受大神宮と尊称し
現在に及んでいるのであります。

法隆寺(3)
2006-04-04
法隆寺は 斑鳩三塔(法隆寺・法起寺・法輪寺)の一つです。飛鳥時代の現在に伝える世界最古の木造建築で
日本初の世界文化遺産に指定されました。
用明天皇が 自らの病気の平癒を願って寺と仏像を作る事を誓願しましたが
その願いが実現しないまま崩御しました。
その遺願を継いで 推古15年(607)に推古天皇と聖徳太子が建立しました。
法隆寺は 塔・金堂を中心とする西伽藍と
夢殿を中心とする東伽藍に分けられています。
広さ18万7千平方メートルの境内には
飛鳥時代を始めとする各時代の粋を集めた建造物が軒をつらねています。
国宝・重要文化財に指定されたものだけでも約190件に及んでいます。
(法隆寺のパンフレットより)

法隆寺(2)
2006-04-04
法隆寺は 斑鳩三塔(法隆寺・法起寺・法輪寺)の一つです。飛鳥時代の現在に伝える世界最古の木造建築で
日本初の世界文化遺産に指定されました。
用明天皇が 自らの病気の平癒を願って寺と仏像を作る事を誓願しましたが
その願いが実現しないまま崩御しました。
その遺願を継いで 推古15年(607)に推古天皇と聖徳太子が建立しました。
法隆寺は 塔・金堂を中心とする西伽藍と
夢殿を中心とする東伽藍に分けられています。
広さ18万7千平方メートルの境内には
飛鳥時代を始めとする各時代の粋を集めた建造物が軒をつらねています。
国宝・重要文化財に指定されたものだけでも約190件に及んでいます。
(法隆寺のパンフレットより)

法隆寺(1)
2006-04-04
法隆寺は 斑鳩三塔(法隆寺・法起寺・法輪寺)の一つです。飛鳥時代の現在に伝える世界最古の木造建築で
日本初の世界文化遺産に指定されました。
用明天皇が 自らの病気の平癒を願って寺と仏像を作る事を誓願しましたが
その願いが実現しないまま崩御しました。
その遺願を継いで 推古15年(607)に推古天皇と聖徳太子が建立しました。
法隆寺は 塔・金堂を中心とする西伽藍と
夢殿を中心とする東伽藍に分けられています。
広さ18万7千平方メートルの境内には
飛鳥時代を始めとする各時代の粋を集めた建造物が軒をつらねています。
国宝・重要文化財に指定されたものだけでも約190件に及んでいます。
(法隆寺のパンフレットより)
