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仁和寺(2)
2006-04-05
創建は 平安時代の第58代光孝天皇が西山御満寺として着工されたのが始まりです。
仁和4(888)年 宇多天皇が
先帝の意思を継いで完成しました。
以来 明治維新まで皇子皇孫が門跡を勤め
別名を「御室御所」と呼ばれました。
また 桜が有名で「御室桜」と呼ばれ
境内には遅咲きの桜は素晴らしいです。
平成6年 世界文化遺産に登録されました。

'06 雪の仁和寺(1)
2006-04-05
創建は 平安時代の第58代光孝天皇が西山御満寺として着工されたのが始まりです。
仁和4(888)年 宇多天皇が
先帝の意思を継いで完成しました。
以来 明治維新まで皇子皇孫が門跡を勤め
別名を「御室御所」と呼ばれました。
また 桜が有名で「御室桜」と呼ばれ
境内には遅咲きの桜は素晴らしいです。
平成6年 世界文化遺産に登録されました。

法起寺
2006-04-05
法起寺は 斑鳩三塔(法隆寺・法起寺・法輪寺)の一つです。法隆寺には訪れても
この法起寺には訪れないという人も多いのでは?
法隆寺と同様 世界文化遺産に指定されています。
法起寺の三重塔は 現存する日本最古の三重塔で
国宝に指定されています。
伽藍の配置は 法隆寺と逆で
「法起寺式伽藍配置」と呼ばれています。
推古14年(606)に聖徳太子が
法華経を講説されたという岡本宮を
寺に改めたものと伝えられ
法隆寺・四天王寺・中宮寺などと共に
太子御建立七ヵ寺の一つにかぞえられています。
推古30年(622)2月22日 聖徳太子は
その薨去(こうきょ)に臨み
長子の山背大兄王(やましろおおえおう)に
宮殿(岡本宮)を改めて寺とすることを遺命しました。

法輪寺
2006-04-05
法隆寺は 斑鳩三塔(法隆寺・法起寺・法輪寺)の一つです。法輪寺の創建には二つの説があります。
一つは 推古30年(622)聖徳太子が病気になった時
太子の長子山背大兄王がその子由義王らとともに
太子の病気平癒を願って建立されたという説
もう一つは 天智9年(670)の斑鳩寺焼失後
百済開法師・圓明法師、下氷新物三人が
合力して造寺したとする説があります。
伽藍配置は 法隆寺と同じで
規模は法隆寺の西伽藍の3分の2でした。
残念ながら 当時の建造物は残っていません。

元伊勢・内宮(皇大神社)
2006-04-05
第十代崇神天皇三十九年(紀元前五十九年)に「別に大宮地を求め鎮め祀れ」との皇大神の御教えに従い
永久にお祀りする聖地を求め
それまで奉斎されていた
倭の笠縫邑(現奈良県桜井市)を出御されたのが
いまを去る二千数十年前の遥かな昔であった。
そして、まず但波(丹波)へ御遷幸
その御由緒により当社が創建されたと伝えられている。
皇大神は 四年ののち 御神蹟をおとどめなされて
再び倭へおかえりになり諸所を経て
崇神天皇二十六年(紀元前四年)に
伊勢の五十鈴川上の聖地(いまの伊勢の神宮)に
常永遠にお鎮まりになった。
しかし、天照皇大神の御神得を仰ぎ慕う遠近の崇敬者は
引き続いて当社を内宮の元の宮として
「元伊勢内宮」あるいは「元伊勢皇大神宮」「大神宮さん」などと
呼び親しみ
今に至るも庶民の篤い信仰が続いている。
(皇大神社のパンフレットより)

