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興福寺(4)
2007-05-13
法相宗の大本山として知られる興福寺。 その前身は飛鳥の「厩坂寺」であり、さらにさかのぼると
天智朝の山背国「山階寺」が起源となります。
その山階寺は、天智8(669)年に藤原鎌足が重い病気を患った際に、
夫人である鏡大王が夫の回復を祈願して、
釈迦三尊、四天王などの諸仏を安置するために造営したものと伝えられており、
この名称は後世においても興福寺の別称として使われています。
その後、壬申の乱(672年)ののち、飛鳥に都が戻った際に、山階寺も移建され、
その地名を取って厩坂寺とされました。
さらに、平城遷都の際、和銅3年(710)藤原不比等の計画によって移されるとともに、
「興福寺」と名付けられたのです。

平等院
2007-02-10
ときの権力者・関白藤原道長が左大臣源重信の婦人から譲り受けた別業をその子藤原頼通が
永承7年(1052)にこれを仏寺に改め、平等院としました。
永承7年は末法初年に当たるとされ
末法思想が貴族や僧侶らの心をとらえ
極楽往生を願う浄土信仰が社会の各層に広く流行していました。
その翌年の天喜元年(1053)には平等院の阿弥陀堂(鳳凰堂)が落成し
堂内には、平安時代の最高の仏師定朝によって作成された
丈六の阿弥陀如来坐像が安置され 華やかさを極めたとされています。
約1000年前に建立された建造物や仏像が今に伝えられ
世界遺産にも登録されております。

三井寺
2007-02-10
天台寺門宗(てんだいじもんしゅう)の総本山である三井寺は正式名称を園城寺(おんじょうじ)といいます。
三井寺と呼ばれるようになったのは
天智・天武・持統天皇の三帝の誕生の際に
御産湯に用いられたという霊泉があり「御井の寺」と呼ばれていたものを
後に智証大師円珍が当時の厳義・三部潅頂の法儀に
用いたことに由来します。

'07天龍寺・冬(2)
2007-01-15
1339(暦応2)年 吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うために
足利尊氏が夢窓国師を開山として創建しました。
天龍寺は 京都五山第一位の寺格を誇っていました。
創建以来 1356(延文1)年をはじめ 8回の大火に見舞われ
現在の堂宇の多くが明治期に再建されたものです。
夢窓国師による庭園(曹源池)は
国の史跡・特別名勝第一号に指定されました。
また 1994(平成6)年に世界文化遺産に登録されました。

